CFB2018年シーズン それぞれの「全米王者」たち

2019年1月13日
クレソン大がCFP決勝に勝利して全米王者に輝き、幕を閉じたCFB2018年シーズン。実はCFBの「全米王者」って、あと3校も存在する事を皆さん御存知でしたか?

CFB=カレッジフットボールのカテゴリーはディヴィジョンⅠのFBSとFCS、ディヴィジョンⅡ、ディヴィジョンⅢの四階層に分けられ、各カテゴリーのチャンピオンがそれぞれの「全米王者」と定義されている訳です。いつもこちらで取り上げているのは「最上階」のFBSに所属しているチームや選手でありますが、今回はFCSより下層カテゴリーの決勝戦に注目しながらCFBの知見をさらに広めて頂けると幸いに思います。さらに、日本のフットボール界の「ブレイクスルー」となる鍵も探って参りますのでお付き合いの程を。



CFBのカテゴリー分けについて復習を

まずは四つのカテゴリーについて復習してみましょう。

①ディヴィジョンⅠ FBS(Football Bowl Subdivision)
⇒130校で構成、ボウルゲームへの出場権付与、フットボール奨学金給付枠85名

②ディヴィジョンⅠ FCS(Football Championship Subdivision)
⇒125校で構成、ボウルゲームの出場権なし、フットボール奨学金給付枠63名

③ディヴィジョンⅡ
⇒167校で構成、フットボール奨学金給付枠36名

④ディヴィジョンⅢ
⇒250校で構成、原則的にフットボール奨学金制度なし

直接お会いした方に内訳をざっくりお話すると、この「ヒエラルキー」にぶったまげられる事が度々です。加えてディヴィジョン間の「入替戦」的なものは存在せず、「同じだけ選手を集められなかったらフェアじゃないっしょ」という「正論」に基づき、各ディヴィジョン規定の奨学金を選手に給付出来るかどうかでその大学の所属が決定します。従ってカテゴリーの昇格や降格は大学側がどれだけフットボール部に「ペイ」出来るかどうかにかかっている訳です。とどのつまり、大学自体の(財政基盤の)規模がカテゴリー分けに反映されると言っても良いでしょう。

このようにアメリカの「アスレティック・プログラム」は、日本における「部活動」と規模や性質が全く違う事をまずは認識して頂きたいと思います。



それでは、ディヴィジョンⅢから順に各カテゴリーの決勝戦を御覧下さい。

ディヴィジョンⅢ 決勝戦 マウントユニオン大 vs メアリーハーディン=ベイラー大

先述の通りこのカテゴリーでフットボール奨学金を受けている選手はほぼ皆無なので、身長や体格的には日本のトップの大学生とそれほど変わらないように見受けられます。ただしフィジカルの強さやスキルの洗練さに関しては、幼少からフットボールに親しんでいるだけあって一枚上手である感が否めないでしょう。

マウントユニオン大自体は小規模ながら歴史のあるオハイオ州の大学で、フットボール部も1893年(明治26年)に最初のゲームを行った記録が残っているとの事。1993年シーズンから合計13回の「全米王者」となっているディヴィジョンⅢの「大横綱」であります。一方のメアリー・ハーディン=ベイラー大も歴史があるテキサス州のバプティスト系キリスト教大学で、2016年シーズンに続く今回の「戴冠」から分かる通りフットボール部の強化にも力を入れているようです。



ディヴィジョンⅡ 決勝戦 フェリス州立大 vs ヴァルドスタ州立大

このカテゴリーになると攻守そしてキッキングチームを単純加算した1チーム分の奨学金給付選手を集める事が可能で、さらにディヴィジョンⅠのチームに在籍していた選手が奨学金を求めて転入してくるケースもあるため、ディヴィジョンⅢに比べて相当レベルが上がります。かつてニューイングランド・ペイトリオッツ等でプレイした小兵RBダニー・ウッドヘッドの出身校であるチャドロン州立大はこのカテゴリーの大学で、潜在的にNFLでプレイ出来る選手がワンサカしていると言っても良いでしょう。

ミシガン州内でも歴史のあるフェリス州立大は今回が初のディヴィジョン決勝進出でしたが、ゲーム終盤のキャッチアップ敢行でゲームを大いに盛り上げました。ヴァルドスタ州立大はジョージア州所在の大学でフットボール部の発足は1982年と比較的若いチームですが、2004年シーズンから合計4回の「全米王座」獲得、御覧の爆発的なパス攻撃を看板にデイヴィジョンのプレイオフにもほぼ毎年出場している強豪であります。



FCS 決勝戦 東ワシントン大 vs ノースダコタ州立大

FCSはレギュラーシーズン終了後、24チームによるトーナメント戦を行い「全米王座」を決定します。試合数に着目するとFBSはおろか、ひょっとするとNFLよりも過酷なポストシーズンと言えるかも知れません。その現行制度下において「絶対王者」として君臨しているのが、緑のヘルメットのノースダコタ州立大。2011年シーズンから計7回の「全米王座」に戴冠しています。対する東ワシントン大もFCSの強豪でありますが、チーム最大の特徴は何といっても赤い人工芝のホームフィールド。ホームゲームの動画を観ていると、血の池地獄で亡者達がのたうち回っているのを目の当たりにしているようでビミョーな気分にさせられます…

今回の組み合わせである東ワシントン大とノースダコタ州立大は、各々クーパー・カップ(現ロサンゼルス・ラムズ)とカーソン・ウェンツ(現フィラデルフィア・イーグルス)というNFLドラフトにてトップ指名された選手を輩出。フットボールにおけるスキル以外の理由(サイズ、学業不振、ハイスクール時代に全く注目されなかった等々)でFBSの大学からお声がかからなかった選手が多いため、FBSと遜色のないプレイぶりを拝見する事が出来ます。レギュラーシーズン中に「交流戦」のような形でFBSとFCSの対戦カードがチラホラ組まれていますが、事実2018年シーズンに関しては7ゲームでFCSが勝利するという「下克上」が発生していますからね。

※カーソン・ウェンツが出場しているFCS決勝についてはコチラを参照下さい。

 

 

 

そして甲子園ボウル 早稲田大 vs 関西学院大

以上3つの「全米王座決定戦」を御覧になったトコロで、「日本一」を決定する甲子園ボウルのハイライトを覗いてみましょう。皆さんが感じられる事は様々だと思われますが、「アメリカとは差があり過ぎる」という声は共通して発せられたかも知れません。

その「差」がどれだけの開きでどういった点で生じているかという事実を捉えるか、あるいは全く別モノと考えて窓のカーテンを閉してしまうか…そのどちらを選択するかによって、今後の日本フットボール界の命運は決まると断言しても良いでしょう。



今こそ日米交流戦の復活を

その「差」を実感するために百聞は一見さらに百見は一蝕に如かずで、実際に「肌を合わせる」事がベストであるはずかと。そこで、全日本選手権を制した大学はXリーグ王者の代わりにディヴィジョンⅢ王者とマッチアップするという案を提言したいと思います。(ライスボウルの改革案についてはまた後日にて)

FBSでのプレイ経験があるアメリカ人選手が’「助っ人」として参加している事が象徴しているように、Xリーグのトップチームは専従的にプレイしている実質「プロ選手」を抱えているのが現状です。一方で母体となっている大学から「ペイ」されている訳ではなく、あくまでも学業という「本業」が別にある学生で構成されているのが日本の大学フットボールチームであります。確かに強化が支持母体の宣伝に繋がるという目的に関しては似たようなものですが、その方法の質と導き出される成果についてはかなりの差が生じて事を見逃してはなりません。

そういった観点からすると、フットボール奨学生が皆無であるため日本の大学フットボールに状況が近いディヴィジョンⅢのチームと戦うのは無理がないように感じられます。しかも日本よりも質の高いフットボールに触れられるため、対戦する大学はもちろん観戦者の立場において大きなインスピレーションを貰えるはずです。確かにXリーグのチームとの対戦でアメリカ人選手のプレイを体感出来るかも知れませんが、あくまでも母体は日本のチーム。チーム文化などの新たな発見という点では、本場のチームとの交流に到底勝ってこありませんからね。「同じ大学生であるアメリカ人選手にどこまで立ち向かう事が出来るか」というテーマの方が、日本の大学生選手のモチベーションに自然と火をつけられるような気もしますし。

年末辺りにディヴィジョンⅢ王者を日本に誘致し、観光や交流も楽しんで貰いながら全日本選手権王者の地元スタジアムでゲームを開催するという流れで。かなりの予算が必要となりますが、そこを何とか学生協会には協賛企業や自治体に協力を仰いで頂きたいと思います。必ずや日本フットボール界の将来への「投資」となるはずですから。



平成元年の1989年から1996年の7年間、ディヴィジョンⅠーAA(FCSの当時の呼称)に所属するアイビーリーグ選抜や単独でウィリアム&メアリー大を招致して日本の学生選抜とのゲームを開催していました。やはり当初はかなりスコアが開いてしまう内容でありましたが、第6回や第7回のゲームでは2ないし3ポセッションまで日本学生選抜が差を詰めていました。いよいよ日本フットボールの成長曲線がアメリカのそれに交わるレンジまで到達するか…と思われたトコロで開催は中止に。その後は大学単位やアメリカ人学生選手を数名招致するレベルで開催されるゲームはあったものの、大体的な規模で「日米交流戦」が行われなくなって久しくなっています。

当時の関係者の皆さんの中に「いつかはアメリカに勝つチームを作る」という心意気が溢れていた故の取り組みであったはず。経済状況やテクノロジーそして精神文化がかなり様変わりした現在ではありますが、いち「フットボール人」として先達が燃やしていた「炎」を絶やしてはならないと感じる平成最後の新年であります。




[了]

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