若きフットボーラーのための鎮魂歌(レクイエム)

2014年11月5日
知己が急逝するという知らせほどではないにしろ、活躍をよく目にしたNFL選手のそれを耳にする事はかなりショックなものです。


NFLプレーヤーの急逝

今年の9月20日、昨シーズンまで9年間テネシー・タイタンズに在籍していた K ロブ・ビロナスが、運転していた車がひっくり返る位の交通事故で亡くなりました。タイタンズで定着するまでは解雇と契約を繰り返していましたが、チームの窮地を何度となく救ったクラッチ・キッカーとしてリーグにもその名前が刻み込まれています。

事故の報道映像は見ていて辛くなってしまうので、元気だった頃のビロナスの様子をどうぞ。

Source:Rob Bironas field goal Tips on YouTube.com(動画・画面キャプチャともに)

 

 

今となってはかなり昔の話になってしまいましたが、ワシントン・レッドスキンズ S ショーン・テイラーの訃報にもかなりショックを受けたものです。自宅に押し入った強盗に撃たれ、2007年11月27日に現役選手でありながらその生涯を閉じました。マイアミ大ハリケーンズ時代から注目していて、いつか殿堂入りSロニー・ロットを追い越す存在になると期待していたのですが…

こちらは彼の追悼ハイライト集になります。身体の大きさだけに頼らず、全力でプレーする素晴らしい選手でした。もっとその姿を目に焼き付けておけば良かったと、当時後悔しきりだったのを今でも覚えています。

Source:Sean Taylor Highlights/Tribute HD on YouTube.com

 

「さようなら」の語源

ところで、皆さんは「さようなら」の語源をご存知でしょうか?

漢字で表記すると「左様なら」。「左様」は文語体で用いる代名詞で「そういうこと」の意味を持つので「そういうことならば」という解釈になります。

少し古い言い回しである「さらば」は「さ+あれば」の複合語で、「さ」は「左様」の短縮形なので、意図する所は全く同じです。

カジュアルに用いる「じゃあね」も元々は「それじゃあね」を縮めたものなので、以上の用法と同義といっても差し障りはないように思います。

ゆえに、これらお別れの言葉が持つ本来の意味は「そういうことであれば、この辺でお別れにしましょう」となる訳です。

まだ一緒にいたいけれども、お互いではどうにも出来ない事情-時間がなくなった、新たな用件がある、待っている人がいる、そして死別など-があるので仕方ありませんね、という名残惜しさが多分に含まれています。

さらに加えると、その名残惜しい感情を「次は会えないかも知れない」という覚悟に変換する役割も果たしているようです。だからこそ日本人は丁寧に、離れる人を最後まで見送るのかも知れません。

名古屋への帰省から東京にもどる際に母親が新幹線のホームでずっと見届けていた姿を思い出し、その気持ちがようやく分かりかけたような気がします。もしお互いの身に何かあれば、次に会う事なんて叶いませんからね(今もなお母はやかましいくらいピンピンしていますが…)。


十年以上も前の流行歌になりますが、お別れの言葉にちなんでキンモクセイの『さらば』を是非聴いてみて下さい。

Source:キンモクセイ ‐ さらば on YouTube.com

 

今ここで一緒にいるのは最初で最後かもしれないけど、あなたといた事は忘れない…

先程お話した「覚悟」の気持ちがしっかりと織り込まれていますね。

ちなみに、レナウン・ローバーズ在籍時代にチームメイトから「ボーカルの人に似ているよ」と指摘された事がありますが如何でしょう…?

Dr.FOOTBALL流 別れの挨拶

「一期一会」という言葉は、旅先などの特殊な状況で用いられるものと認識されるケースが多い事かと思われます。

僕個人の見解としては『ウルルン滞在記』のような劇的なシチュエーションでなくとも、家庭や職場そしてその他のコミュニティでの一般生活においても当てはめる事が出来るのではないかなと感じます。

いつも顔を合わせているからといっても、次に会える確証なんてどこにもありませんからね。

得てして事故や病気というものは、気をつけていたとしても不意に襲ってくるものです。自分たちでコントロール出来ないコトに意識を持っていかれるより、今その人と一緒にいる時間を大切にすべきではないでしょうか。


『お疲れ様』に変わる別れの挨拶

大人になってしまうと「さようなら」を使う頻度がめっきり減ってしまい、別れの挨拶は「お疲れ様です」が一般的になるものですが、潜在的に相手を疲れさせてしまうフレーズという話を聞いてからあまり使わないように心掛けています。

クラブハスキーズ時代に僕の拙い球をバシバシ捕ってくれたWRが別れの挨拶に使っていた「エンドゾーンで会おう」の響きをとても気に入っていて、同業者の方とお別れする際にはこのフレーズを拝借しています。再会を期するという点で「Good-bye」や「ごきげんよう」の親戚になるのかも知れません。

別れ際の覚悟は勿論大切ですが、やはり「次回もあなたの元気な姿を見たい」という気持ちもしっかり伝えられると何よりですよね。






はからずも遠くへ旅立ってしまった友人に今回の記事を捧げます。



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